みんとのつぶやき

読んだ本、聴いたCDの感想などをつらつら書いています。

4/21 初のヤマハホール

 ヤマハホールは初めて。銀座も用事がないと来ないが、ヤマハがあったことも実は全然しらなかった。入り口の1階はギターやピアノ、スピーカー等々展示されていた。営業時間内に到着していれば、いろいろ見れて面白かったかもしれない。
 この日は、神尾真由子(バイオリン)とミロスラフ・クルティシェフ(ピアノ)の演奏会。昨年秋、神尾真由子ソロの協奏曲を聴いたあと名前を覚えて、2月頃か、この演奏会を知り、チケットをとった。発売開始から二か月は経っていて、ホールの中ではかなり条件の悪い席だったとは思う。が、行ってみたらそんなことはなかった。席数が300ちょっとという小規模なホールで、後ろのほうの席であっても、すぐそこで鳴っているようであった。
 前半は18世紀、19世紀のもの、後半はほぼ20世紀の現代音楽。後半は演奏者(神尾さんのみ)による紹介のあとに演奏、という感じで、敷居を少し下げてくれた感じを受けた。どう聴いたら、どう楽しんだらよいのかわからない曲もあったことはあったが。バイオリンもさることながらピアノも素晴らしかった。アンコールに2曲演奏してくれたが、最後の曲はピアノは伴奏に徹していてソロ部分がなかった(ように聴こえた)のが残念だった。
 この日、昼間はN響定期公演のチケット(例によって自由席だが)を持っていたのだが、所用により行けなかった!残念だったという気持ちは今でもあるが、幸い前日のラジオ生放送は聴けたし、こんなことあるのが生の演奏会なのだろう(でもはやり残念)。

バッハのピアノ曲

 所沢ミューズで、コンスタンチン・リフシッツという人のバッハ・パルティータ全6曲の演奏会。チケットをとってから別のピアニストだがCDを少し聴いて予習するも、最初のほうだけしか聴けなかった。(演奏会に行きながらいう言葉ではないが)どのように聴けばよいのかよくわからない曲だったが、あまり気にしないことにした。
 聴いたCDは端正な演奏という印象だったが、今日は最初からけっこう特徴があるというか、感情をこめているというか。生のピアノの迫力もすごい。音がかなりくっきりはっきりしているが、きれいに響く。「C.BECHSTEIN」とあって、ホールのピアノなのか、ピアニストの持ち込みなのか、どちらなのかはわからないが、初めてみる名前だった。
 演奏は素晴らしかったと思った。印象だが。3時に始まり、途中、15分と20分の休憩を挟みつつ、終焉が6時40分頃だった!アンコールを2曲演奏してくれた。それがなくても、かなり贅沢な演奏会だった気がする。

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「太陽を曳く馬」

 高村薫の、2009年頃の本。刊行当時も読んだはずだが、全く記憶になかった。おそらく最後まで読まなかったのだな、と今回読み返してわかった。少し前、たまたま「照柿」の文庫版を読み、好きだった場面が省略されているのを残念に思いながらも、以前はわからなかったこともわかる気がして、その後の「レディ・ジョーカー」以後で合田が出てくる小説、と思い手に取ったのだった。ただ、今回もかなり読み飛ばし、また、最後まで読めず、特に最後の福沢和尚の手紙は全く読まなかった。
 読み飛ばした箇所はいろいろだが、やはり仏教談義が大きいか。わからないので。あと、一人一人の行動もよくわからなかった。描写の仕方もそれ(「レディ・ジョーカー」)以前とは違っている気がする。福沢つながりの「晴子情歌」から読み直したほうがよかったかな。小説の中だが、福沢家の人々がどのように若い晴子を見ていたか想像すると、あまり読み返したくはないのだが。
 読み飛ばしながらも少し納得したのは、オウムについてかな。なぜあれほどの信者を獲得できていたのか、信者にはその人なりのそれぞれの理由があるのだろうけれども、少し腑に落ちた部分もあった。ただ、なぜこの題名なのか、なぜこの展開なのか、等々、小説自体はさっぱりわからなかった。
 一昨日は地下鉄サリン事件から23年だった。そんなに経つとは。亡くなった方のご冥福と、いまだ症状と戦っている方の快方に向かうことをお祈りするばかりだ。

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都響「レニングラード」

 東京文化会館での都響公演を聴いた。去年の秋、N響パーヴォ・ヤルヴィの「レニングラード」を聴いて、別の演奏も聴いてみたいと思いチケットを取った演奏会だった。
 都響の公演は初めて。会場の構造というか、客席の並びにまず驚く。座席表通りではあるのだが。席は左右列の一列目。視界を遮るような手すりなどはなく見やすいのだが、その分けっこう怖かった。座席が高くなっていて、足台のようなパイプがあるが、遠い。足の長い人なら問題ないのだろうが、私にはまっすぐ座るので精一杯。横を向かないとステージは見えないが、それで余裕のある姿勢をとれるほど足は長くないし、席も広くない。すごいアンバランス。ななめ(横ではなく)に座っている感じになっていたが、その日の服の裏地がけっこう滑りそうなのも、落ち着かなかった。足が長くて足代のパイプまで余裕だったら気にならないことなのだと思うが、突然足は伸びない(ゆっくりでも無理)。私自身に集中力がないのもあるのだが、座りの悪さは最後まで気になった。もし今後同じホールに来るときはいろいろ注意しなければと思った。
 最後まで集中できていたわけではないが、演奏はすごい迫力だった。弦楽器が今まで聴いたなかで一番揃っていた気がする。(それがいい悪いと

かではないが。) すごくテンポが速かった。それはそれで説得力があった気がする。
 今回は私にしては結構予習したつもりだったが、予習といっても、CDや動画サイトで視聴可能なものを少し聴くだけだが、全然十分ではなかった。その点が残念だ。(演奏ではない。)

 3月11日、東日本大震災のきっかけとなった地震の日ということで、午後2時46分(47分だっけ...)には黙祷しようと思っていた。が、たまたま休日出勤をして、仕事をしていたらいつのまにか過ぎていた。
 7年経って、おそらくそれだけ時間が経ってやっとでてくる話なども最近のネットには載っている。私自身は直接的な被害は何もなかったが、でも、それまでの日常生活を送れるのが当たり前ではないのだ、という事実をつきつけられ、1日1日が必至だった。直接被害にあった方々は大変だと思ってはいたが、一番悲しかったのは、だいぶ後になってからだが、子供のころ遊んだある東北の山には今は子供の姿がない、という新聞記事を読んだときだった。今の生活に全く影響のない事柄で受けるショックの大きさで、別の人々のショックの大きさをやっと推し量ることができようになったという感じか。ま、推し量ることなどできないのだが。
 記事は、読んで心を痛めることしかできないが、その痛む気持ちを忘れず、できることをできるときにできるようにしたいと思う。

N響「ウエスト・サイド・ストーリー」

 パーヴォ・ヤルヴィ指揮、N響の「ウエスト・サイド・ストーリー」を聴いてきた。場所はオーチャードホール。このホールでN響を聴くのは初めてだ。N響以外でも初めてだと思っていたが、ホール内の様子になんとなく見おぼえがあるようなないような?そういえば、bunkamuraで歌舞伎を一回みたことがあるので、それか?でもそれはコクーン歌舞伎のはずだから違う。同じ施設内なので様子が似ているのだろうか。でも気になる。。。
 席はかなり後ろだったので不安だったが、席についてみて、ステージが思ったほど遠くないこと、段差がけっこうあることに少し安心した。字幕は片方がやっと見える程度。(もう片方は角度的に全く見えない。)字幕装置自体はNHKホールで使用されていたものともしかしたら変わらないのかもしれないが、オペラグラス経由でないと読めないということはなかった。会場全体の狭さ(NHKホールに比べて)をこんなところ(しかもあっているかわからないが)で認識する。
 演奏が始まった。オーケストラの演奏者が指を鳴らすのにまず驚く。いろんな楽器があるが、演奏者数事体が今まで聴いてきたコンサートの比べて多いわけではない。でもなんの遜色なく、それ以上に響くのは、会場のせいなのか。ブログには書いていないが、先日渋谷のさくらホールで某(たぶんアマチュアオケの)演奏会を聴いた。バイオリンはたしか6名ずつ、チェロとコントラバスはたしか2名か3名ずつ、といった小編成ながら、楽器の響きが素晴らしく、演奏者によるところと会場によるところとどのような割合だろう?と疑問に思っていた。私の視聴が最も多いのはNHKホールだが、自由席なので遠い。聴く側も、音の発生源(ステージ上)から放射状に発散される音を聴いているというイメージで、会場全体が響くという印象とは全く違う。同じオケでも、昨年5月か6月に墨田区のホールで聴いたときも会場全体が鳴っている感じだった。さくらホールでも同様だった。そういった響きが、オーケストラや室内楽のような、電気を通して増幅されない生演奏を楽しむ場合には適していると通常認識されているということなのだろうか。たしかにそのほうが聴いていて気持ちはよいが。NHKホールの音響が問題にされる(記事をたまに見ることがある)のはそういう事なのかな。(と今さらながら認識。)
 歌手は音量が増幅されているようだった、つまり、PAを使っているようだった。ネットをみるとオーケストラもPAを使っているようだったが、必要な楽器(エレキギターとか、ビブラフォンとか)のみだったのか、全体的にだったのかはよくわからない。オーチャードホールも音響があまり、といった記事もあって、ちょっとショック。
 WWSの映画をみたのはかなり昔、たぶん1回きり。それなりに印象には残っているが。直前に歌詞を読んで丁寧に聞く機会もなかったが、今回聴いてみて、たとえば「マリア」のほんとうにシンプルな歌詞に感嘆した。1幕は私でもついていけたが、休憩後の2幕は、気が抜けたのか瞼が重くなったのもあり(これは情けないが!!)印象が薄いまま終わってしまった。ほぼ負け惜しみだが、休憩はなくてもよかったのでは?と思ったが、どうなのだろう。
 終了後、指揮者が演奏者のなかで真っ先に立たせたのはドラム奏者。ずっと音がしていて、普通ジャズ等の演奏だったら見せ場となるような箇所かと思ったが、淡々と演奏していたのが「これがオーケストラの中のドラムなのかな」と思いながら聴いていた。

「日本を捨てた男たち」

 フィリピンに暮らす「困窮邦人」に取材した本。ひとくちに「困窮邦人」といっても、一人一人事情も状況も異なる。題名通りほぼ男性に取材しているが、多くの人に共通するのが、女性に大金をつぎ込み(という表現が正しいのか)、しかしその後続かなかった(捨てられた?)ことのようだ。
 本の中で語られているのは、取材相手が日本でどういう暮らしをし、なぜフィリピンにきて、その後どうなっているのか。さらりとした文章だがけっこう重い。取材相手とこうした話をするまでになる著者の人間力がすごいなと思う。そのほかにも思うことはあるが、とてもまとまらない。ただ、日々きちんと生きなければ、とは思った。