みんとのつぶやき

読んだ本、聴いたCDの感想などをつらつら書いています。

読んだ本「アリガト謝謝」

 読んでみたい、と思ってから実際ページをめくるまでかなり間があったので、読んだ書評の内容等全く忘れた状態で本を開いた。3.11の後、世界各地が義捐金や支援を送ってくれたが、金額的に突出していたのが台湾。寄付がどんな感じで集められたのか、どのように届けられたのかのいくつかのエピソード、その謝意を伝えるための日本の有志一同による新聞広告の発端から実現への過程が小説としてまとめられている。台湾の人々の困っている人への姿勢、各年代ごとの日本への思い。かなり年配の、日本統治時代を知っている人の言葉「日本は大切なものを残していってくれた」「遵法の精神、衛星観念、秩序」というくだりは特に印象に残った。台湾では寄付が禁じられているという。募金をつのろうという場(大学?)でも大手を振ってできることではなかったとの話もある。でも実行し、黙認されていたのは金額を考えてもすごい。懐が大きいのか。
 懐が大きいといえば感謝広告の掲載もだ。個人が(実際は有志だが)感謝広告を出すことを即座に了承する。本にも日本の新聞だったら…という記述もある。有志で謝意広告を出した、という話は聞いたことがあったが、そのくだりを小説だが知ることができよかった。

読んだ本「サイコパス」

 話題の脳科学者の著書。いろんなメディアで取り上げられていたのを見たので、万人にわかりやすい内容なのかと思ったら、いろんな研究者を引用してけっこう専門的だった。。「サイコパス」という言葉自体、何を指すのかわかっていなかったのでその点は読んでよかった。やはり専門外の人にもわかりやすい表現に気を配っているし、専門家ではない読者が極端な印象を持たないように(という意図ではないのかもしれないが)バランスに気を配っているのが感じられた。著者の見解でサイコパスだったかもしれない、という例は、だれでも名前を知っている人もいてびっくりだった。
 「サイコパス」自体が少数派で、ある意味特異な存在だから研究の対象になっているわけだが、多数派が理解できないことを結局は多数派の理論で説明しようとすること自体に怖さを感じた。といってもそれがないと何も進んでいかないが。研究が進むことによって「こういう人もいる」「これは少数の人にとっては異常ではない」等々、わかっていく面もあり、それはよいことだし、その恩恵もいろんな面で受けているのだと思う。とりあえず人に関わるときは覚えていたほうがよい事柄だと思った。こんなのんきな感想も、自分の周囲が平穏だからなのかもしれない。

読んだ本「ニッポンが変わる、女が変える」

 図書館の新刊コーナーに並んでいて、借りてみた。もともと2013年に出ている本の文庫版。雑誌に1年にわたり連載された、上野千鶴子氏といろんな人との3.11(のうち、主に原発事故)を大きなテーマとした対談集だった。
 どの人の章にどんな議論があったか、すでに忘れてしまった、というか、読んでいる瞬間についていく(?)のがやっとだったが、立場により、専門により、視点により、さまざまな議論、反省、課題等々があることはわかった。語られていることによって、頭の中でクエスチョンマークだった事柄を整理してくれたりもした。何か声を挙げるとか、なんらかの行動にでるとかはなかなかできないし、その余裕もないが、せめて投票するときはもっといろいろチェックしようと思った。

ラフォルジュルネ 一公演だけ

 GWに東京国際フォーラムで開催されていたクラシック音楽のフェスティバル。5月5日、シベリウスの悲しきワルツ、竹澤恭子さんがソロのシベリウス・バイオリン協奏曲を聴きに行った。
 このフェスティバルに毎年行っているとかいうわけではない。数か月前、図書館(すみません)で竹澤恭子さんのCDをたまたま借り、印象に残っていたのだ。私はそれまで名前も知らなかったのだが、かなり有名な方だった。
 バイオリンのソロ、オーケストラ(フランス国立ロワール管弦楽団)ともすごい迫力で素晴らしかった。近い席で聴くことができラッキーだった。今回、オペラグラスがいらないくらい前の方の席をとることができたのだ。これも、こういったフェスティバル形式の恩恵かな。

読んだ本?恋と巡礼

 海街ダイアリーの9巻。マンガである。発売されていたのを知って、本屋をハシゴして買い、その後6回くらい繰り返し読んでしまった。
 なぜこんなにこの漫画に魅かれるのか。人のやさしい感情が描かれているからかな。読み手もやさしい気持ちになれる。自分自身の日常生活で起こっていることとは程遠いことに気付いた時はちょっと愕然としたが。2巻くらいまえに、そろそろ終わりかな、と思っていたが、今後状況が変わってどのように描かれていくのかみてみたい気もする。どちらにしても続いていれば読んでしまうんだけど。
 

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N響定期

 先週に引き続き、N響の定期公演。
 前半のベートーベンピアノ協奏曲は、意識がなくなったりまた覚醒したり、の繰り返しで、結果的によくわからなかった。昨日FMで聴き、その後ネットで「フェザータッチ」「天国のよう」(第二楽章)という表現を発見し、その通りだと思い、生で聴けるのを楽しみにしていたのだが!CDを聴いて(別の曲だが、同じ曲を演奏者別で聴いてみていた)、そのしなやかな演奏にびっくりして名前を憶えていて、楽しみにしていたのだが!唯一、アンコールの演奏はきちんときけた。とても素晴らしかった。
 後半のブラームス交響曲4番。曲をよく知らない私でさえ「??」と思うような、出るべき音がでていないというか、すっぽ抜けたようなところが最初多少あった気がした(しかし本来はどうなのかはわからない)が熱演だった気がする。予習で聴いていたCDよりも強弱・緩急共はっきりしていてびっくり。苦悩の旋律が変化していく感じに思った。予習時は、ほとんど通勤時間にイヤホンで聴いていたので、主だった音しか聴こえてなかったのもよくわかった。指揮者の体全体を使っての指揮ぶりはすごかった。
 今日は、先週とくらべたら演奏中の観客の咳の音が少なかった。以前、映画館で映画を鑑賞中、隣の人から突然「静かにしてもらえませんか」と言われたことがある。咳をしていたわけでも、鼻をすすったりかんだりしていたわけでも、何かをさがして鞄のなかを探っていたわけでも、もちろんしゃべっていたわけでもない。全く訳がわからなかったが、映画は途中なので質問するわけにもいかない。唯一可能性があると思ったのは、その時持っていた革製の鞄だ。座席に座っていて、基本的にそう動かないが、多少手の位置を替えたり、足を組み替えたり、ということはある。その拍子に膝の上の鞄の革が多少動いたり擦れたりした音が気になったのだろうか。ただ、私自身はその音にはまったく気がついていなかったし、注意して聴いてみても「音」というほどのものではない。何が気になるかは人によって異なるかとは思うが、へんな言いがかりをつけられたと思って、特に気にしていなかったが、音関連で久々に思い出した。

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またもやN響定期へ行ってしまった

 今日はもともと行かないつもりだったが、昨日午後「やはり生で聴きたい」と思いチケットを買ってしまった。自由席はあと数席という表示で、間に合ってラッキーだった。
 昨日聴いたFMの生放送との聴こえ方の違いに少々戸惑う。生だと立体的だし強弱その他表情がとても豊かに聴こえる。当たり前だが。彩り豊かな部分が平坦につぶされのが、自宅のオーディオ機器から出てくる音といった感じか。どうにか、もう少しましにしたいが、、、。
 以前までは、なるべく事前に違う演奏者のCDを聴いて違いがわかれば等々、いろいろ考えていたが、無理。なので、その場の演奏を楽しもう、と思いつつ聴く。マーラーの1番はすごかった。曲のよさがわかったとはいえない私でも最後は感極まった。生で聴けてよかったと思う。