みんとのつぶやき

読んだ本、聴いたCDの感想などをつらつら書いています。

読んだ本「アフロ記者が記者として書いてきたこと。(略)」

 最初の約10ページで密度の濃さにおののき、その後再度ページをめくるのも、読み進めるのも多少パワーが必要だった。「心の底から言いたいことだけを書く」ことを自分に課した、とあるが、その通りな文章で、読み手に襟をたださせる(読むときの態度として)。
 書き手によりさまざまだとは思うが、新聞を作る人がこんな思いで取材し、記事を書いているのか、驚きだった。ユーモアがあり、抑制の効いた、読みやすい文章だが、その裏に隠れた事柄の膨大さに唖然とした。絞りに絞った文章。行動も、節約を例にとっても、普通考えられる以上絞りに絞っている。感嘆と、頭を殴られた感。

読み途中の本

 アフロヘアで話題になった、もと新聞記者の稲垣えみ子さんの本を読んでいる。まだ10ページくらいで、まだまだこれからなのだが、すでにこの著者の精神の自由さというか、心映えの豊かさというかに圧倒されている。
 節電のために、電化製品を手放して生活しての気づき。冷蔵庫も手放し、食材はその日に必要なものだけ買う。そういう暮らしは「かなりつまらない。(中略)しかし生きるとは、しょせんこの程度のことなのだ。」なんて潔いのだろう。私なら、つまらないことに拘って鬱々とした気分になり、気分転換してやり過ごすことを繰り返し、それも限界がきてどこかで爆発しそうな状況だ。地に足がついているというか、落ち着きがあるというか。

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今更の映画だが

 最近、映画「Lord of the Rings」にはまっている。公開時、映画館ではみず、しばらく後でDVDでの鑑賞だったが、そのときも何度か借り繰り返し見た。10年以上経って、某動画サイトでどれかのシーンを見たら止まらなくなってしまった。
 最近は3作目の「The Return of the King」を見ている。何度か見ていると、今まで疑問だったことについて「もしかしたらこうなのかな」と多少なりとも想像できるころがあったりする。私のものわかりが悪いだけではあるのだが。
 アラゴルンとエオウィンの関係もその1つだ。最近みたDVDはSpecial Extended Edition だが、「二つの塔」からの流れだと、どうみてもアラゴルンの方からエオウィンに関わっていて、思わせぶりな態度にみえるが結局エオウィンの思いには応えない。このシーンが必要なのか?疑問だった。が、メリーのセリフにもあるが、エオウィンはある種の理想なのだろうということがやっとわかった。皆がその幸せを願う。このへんは男性目線なのかもしれない。最初にあった時から、幸せを願う存在ということは、アラゴルンにとっては妹のような存在なのだろうか。
 書いていたら、ほんとに私が世間知らずなのかもなー、という気がしてきた。原作は読んでないが、読んでみたら少しは理解が進むだろうか。

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読んだ本「アリガト謝謝」

 読んでみたい、と思ってから実際ページをめくるまでかなり間があったので、読んだ書評の内容等全く忘れた状態で本を開いた。3.11の後、世界各地が義捐金や支援を送ってくれたが、金額的に突出していたのが台湾。寄付がどんな感じで集められたのか、どのように届けられたのかのいくつかのエピソード、その謝意を伝えるための日本の有志一同による新聞広告の発端から実現への過程が小説としてまとめられている。台湾の人々の困っている人への姿勢、各年代ごとの日本への思い。かなり年配の、日本統治時代を知っている人の言葉「日本は大切なものを残していってくれた」「遵法の精神、衛星観念、秩序」というくだりは特に印象に残った。台湾では寄付が禁じられているという。募金をつのろうという場(大学?)でも大手を振ってできることではなかったとの話もある。でも実行し、黙認されていたのは金額を考えてもすごい。懐が大きいのか。
 懐が大きいといえば感謝広告の掲載もだ。個人が(実際は有志だが)感謝広告を出すことを即座に了承する。本にも日本の新聞だったら…という記述もある。有志で謝意広告を出した、という話は聞いたことがあったが、そのくだりを小説だが知ることができよかった。

読んだ本「サイコパス」

 話題の脳科学者の著書。いろんなメディアで取り上げられていたのを見たので、万人にわかりやすい内容なのかと思ったら、いろんな研究者を引用してけっこう専門的だった。。「サイコパス」という言葉自体、何を指すのかわかっていなかったのでその点は読んでよかった。やはり専門外の人にもわかりやすい表現に気を配っているし、専門家ではない読者が極端な印象を持たないように(という意図ではないのかもしれないが)バランスに気を配っているのが感じられた。著者の見解でサイコパスだったかもしれない、という例は、だれでも名前を知っている人もいてびっくりだった。
 「サイコパス」自体が少数派で、ある意味特異な存在だから研究の対象になっているわけだが、多数派が理解できないことを結局は多数派の理論で説明しようとすること自体に怖さを感じた。といってもそれがないと何も進んでいかないが。研究が進むことによって「こういう人もいる」「これは少数の人にとっては異常ではない」等々、わかっていく面もあり、それはよいことだし、その恩恵もいろんな面で受けているのだと思う。とりあえず人に関わるときは覚えていたほうがよい事柄だと思った。こんなのんきな感想も、自分の周囲が平穏だからなのかもしれない。

読んだ本「ニッポンが変わる、女が変える」

 図書館の新刊コーナーに並んでいて、借りてみた。もともと2013年に出ている本の文庫版。雑誌に1年にわたり連載された、上野千鶴子氏といろんな人との3.11(のうち、主に原発事故)を大きなテーマとした対談集だった。
 どの人の章にどんな議論があったか、すでに忘れてしまった、というか、読んでいる瞬間についていく(?)のがやっとだったが、立場により、専門により、視点により、さまざまな議論、反省、課題等々があることはわかった。語られていることによって、頭の中でクエスチョンマークだった事柄を整理してくれたりもした。何か声を挙げるとか、なんらかの行動にでるとかはなかなかできないし、その余裕もないが、せめて投票するときはもっといろいろチェックしようと思った。

ラフォルジュルネ 一公演だけ

 GWに東京国際フォーラムで開催されていたクラシック音楽のフェスティバル。5月5日、シベリウスの悲しきワルツ、竹澤恭子さんがソロのシベリウス・バイオリン協奏曲を聴きに行った。
 このフェスティバルに毎年行っているとかいうわけではない。数か月前、図書館(すみません)で竹澤恭子さんのCDをたまたま借り、印象に残っていたのだ。私はそれまで名前も知らなかったのだが、かなり有名な方だった。
 バイオリンのソロ、オーケストラ(フランス国立ロワール管弦楽団)ともすごい迫力で素晴らしかった。近い席で聴くことができラッキーだった。今回、オペラグラスがいらないくらい前の方の席をとることができたのだ。これも、こういったフェスティバル形式の恩恵かな。